今を生きる コロンバスにて 北川克己

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Daddyのdrowing

最近モクちゃんは私のことをDaddyと呼びます。
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Papaだったんですが、たまにPappy。急にDaddyに。
間違えてPamyとかMaPaとかなることもある。
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by katsumi_kitagawa | 2010-08-31 06:41 | 赤ちゃん

Fish

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下絵は先生が書いたものですが、色塗りと銀紙はモクちゃんの仕業です。
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by katsumi_kitagawa | 2010-08-30 01:10 | 赤ちゃん

学ぶということ

一生学習とかよくいいますが、どうもこの学ぶということを勘違いしている人がよくいます。どんなにその道の専門家、達人になっても、いや、達人と呼ばれるからこそ、日々これ学習なり。これは本当でしょう。しかし、学ぶというのをどうも、他人から教えてもらえることだと勘違いしている人がいる。講義を聞いたり、知らないことを誰かから教えてもらうということだと思っている人がいる。やはり詰め込み型教育の弊害なのでしょうか。私にしてみると、これは学ぶということするのに助けになるかもしれないことではあるけれども、本質とは全くかけ離れている。学ぶというのは自分でするものであると思うのです。知識や情報なら本からでもwebからでも山のように処しきれないほど見つけることができる。学ぶということは自分で新しいことに挑戦して、具体的には情報を集め、実践し自分のものにすることである。これを一生絶え間なくするのが達人であると思うのです。私も若い頃は、世の中にはすごい専門家がいて、そこに修行にいって免許を皆伝して、スーパーサイヤ人になるのだと、思っていましたが、アメリカに来て、トップラボを見て、研究者としてある一定のレベルをクリアしていれば (これが大事なのですが)、そんなものはないのだとわかりました。というか、厳密にいうとある技術を習得するためにあるラボに習いにいくということはあります。でも、それはそのラボに所属する必要はありません。共同研究なり、教えてもらいにいくなりすればすむことです。あくまで研究テーマがあって、それに必要な技術を教えてもらうなり、自分でプロとコールを見てやるなり、また自分で新しい技術を開発するなりするのです。そして、それこそが学ぶということなのです。少なくとも私たちの実験科学の分野ではそうです。
私の理解では、このレベルをクリアしているというのが少なくとも私たちの世代では学位習得だったのです。だから、例えば今まで大腸菌しか用いたことがなかったとしても、論理的にものが考えられて、情報を集めて、自分で実験を行うことができるというレベルに達していれば、すなわち、自己学習能力を備えていれば、酵母だろうが、線虫だろうが、マウスだろうが、現実的には効率に差はでるでしょうが、機材と試薬さえそろっていれば自分で実験を計画し実行することが可能なはずです。
自分は学ぶことが好きで、いろんな技術を習得したいという人がいますが、正確にいうと教えられることが好きな人ということになり、こういう人はもっともPIに向いていないでしょう。純正のテクニシャンが天職だと思います。
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by katsumi_kitagawa | 2010-08-29 14:11 | 科学

小沢一郎首相

私は小沢一郎氏が好きだからという理由ではなく、実際の力がある強い首相を見てみたいという理由で小沢一郎氏が民主党党首になることを期待する。前にも書いたが、日本人は政治家に向いてないんじゃないかというくらいのていたらくぶりなので、最後の可能性にかけたいと思っている。さてどうなるか、日本。
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by katsumi_kitagawa | 2010-08-28 18:24 | 政治

Daycare 休み

今日はDaycareが休みだったので、NCHにモクちゃんも連れて行きました。
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みんなに自分よりでかいクッキーを食べているっていわれていました。
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これはwebsite用に撮ったofficeでの私の写真。実際よりやせて見えるかも。
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by katsumi_kitagawa | 2010-08-28 11:30 | 赤ちゃん

クリフォード

みんな(おさる)座って、クリフォード(でかい赤い犬)を聞いています。


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by katsumi_kitagawa | 2010-08-24 16:46 | 赤ちゃん

ビームアウトパラドックス

再生医療が発展し、臓器が自分の細胞から作れるようになったとしよう。脳以外のすべての臓器を変えてもそれは本人だということになるのは間違いあるまい。しかし、脳を少しずつかえていくことはどうなのだろうか。もしこれが技術的な可能なら、少しづづなら記憶が少しづづ薄れたり、考え方が少しだけ変わったりしていくだけだろう。これを本人としていいのだろうか。否定する理由が見当たらない。そもそも我々の細胞も一定の割合で死滅して新しい細胞と入れ替わっているはずである。
スタートレックでピームアウトという移動方法がある。これはいったん人間を信号に替え、転送地点で分子を再構成するのだ。見方によっては、このビームアウトのたびにいったんその人は死に、そして、記憶までを含んだその人の正確なコピーができているということになる。これは(生物学的な)クローンとは違う。クローンは遺伝的に同一であるだけで、本人がそれまでに経験してきた情報や生体における変化などが、無いか異なり、物理的に厳密には同一にならない。ここで、死は本人とは独立して周りが決めるものであるという最初に述べた所見に回帰する。
臓器移植の場合はビームアウトとは異なる。しかし、周りが本人と認めると言う点で死んでいないということになるのだろう。見た目が同じで少しずつ記憶や思考、行動か異なっていく本人を周りは死んでいないとする。臓器移植は突き詰めていくと生物学的な個体死を克服すると同時に、死の概念そのものを変えてしまうことになるということに他あるまい。
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by katsumi_kitagawa | 2010-08-23 11:08 | 社会

脳死

脳死について私は懐疑的である。果たして人間の死とはどのように決められているのか時折考えてみるのだが、最近考えているのは、おそらく人の死とは周りにつまり社会によって決められているということである。よくよく考えてみると死を叙述するということは他人がすることなのでこれは当たり前のことなのだが、哲学的な意味では重要な観点である。すなわち、本人がどういう状態であろうと周りが死んでいるとみなせばそれが死であるということである。脳死はどうなのか。脳死は植物状態とは違う。植物状態は自己呼吸ができる。しかも、機械を使えば植物状態の患者と意思疎通ができるのだ。つまり、他の人間と意思疎通ができるかどうかに境がある。いやしかし、医学上は脳死の場合はすでに意思そのものが存在しないことになっている。これは医学的な所見に基づいた判断だ。果たしてこれが絶対的に正しいなどと誰が言えよう。
もし、本人に意思というものが存在しながらも、他と疎通ができない状態があったら、それは死と判断されるのか。そして、臓器移植との関連はどうなるのか。もともと脳死を確立せねばならなかった歴史的な理由は臓器移植を法的に可能にするためである。従って、哲学的な死の意味云々とは別に、実際問題として技術的に脳死をある閾値以下のものと定め、条件にあえば、呼吸維持装置などの医療活動を中止する前に臓器を移植するということなのである。そして、現実に脳死と判断されながら、移植直前に生き返った例もあるのだ。
このまれに起こる例外に目をつぶって移植を行って他の人の命を救った方がいいというのが現在の社会の考え方と言っても過言ではあるまい。
しかし、この臓器移植とやらも、これからさらに盛んになってきて、ついには脳以外はすべてできるようになるかもしれない。いやそれどころか、脳幹、小脳など脳の一部も移植できるようになるかもしれない。どれが果たして本人なのか。左脳だけ入れ替えて、記憶が一部残っていたら、本人なのか?2人の記憶が混ざってしまっても、一人の人間を生かしたからよしとするのか。そもそも何が本人を定義づけて、何が死を定義づけるのかわからなくなってしまうのではないか。それも、現実的な技術的なラインで判断するのか。
私の想像にすぎないのだか、脳死した人の家族が臓器移植に同意する大きな理由はその本人の一部でもこの世に”生きていて”欲しいということではないかと思う。脳死判定された母親に子供が毎日抱きついているというニュースを見た。子供にとって何もいわなくても暖かい”生きている”お母さんに抱っこできることは果たして意味のないことなのか。
私は臓器移植に反対なわけではない。移植が必要な患者さんには助かってもらいたいと思う。しかし、脳死の定義が非常に現実的技術的過ぎる点にとても違和感を持っている。これらの事情をすべてふまえた上での本人の意思がやはり一番重要なのではないかと思う。
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by katsumi_kitagawa | 2010-08-22 14:00 | 赤ちゃん

うちの近所


うちが近所で一番小さい家なんですけど、なんか場違いのところに住んでいる気がしてきた。家はいいけど、家具はないし。。。
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by katsumi_kitagawa | 2010-08-22 12:18 | 日常

Pizza partyの様子


うちではpizzaなんてあげても食べないのですが、ここではもりもり食べています。
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by katsumi_kitagawa | 2010-08-22 12:03 | 赤ちゃん

Associate Professor at Nationwide Children's Hospital, School of Medicine, Ohio State University
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